わたしの母がお世話になっている介護施設は通所の施設が1階にあって、入居サービスは2階でおこなっています。
2階のショートステイは短期で宿泊される方もいれば、長い期間利用されている方もいます。基本的には長く利用することができないので、母が知り合った方が別の施設にうつかれた、という話しも母から聞いたりしています。
宿泊される方の出入りも多いんですけれど、スタッフもこの1年でかなり変わりました。この3ヶ月のあいだに半数以上のスタッフが変わったようにおもいます。なにを理由にやめて新たな職場に変わったのか?は知りません。
普段の職場の雰囲気はワキアイアイとしていて、外側から見る限りではうまくいっている職場のように思えますけれど、「隣の芝生は青く見える」とおもうのが人間です。
自分の家(職場)の芝生の色よりもとなりであったり他の家(職場)のほうが青々として見える。魅力があると感じてしまうように人間はできています。移ると、うつったとたんに、じつは前の家の芝生のほうが良かった、ということもあるのかもしれません。
職場を転々とすることは、その職場でゼロから始める部分が大きいのでシンドイものです。新鮮な空気でいいことばかりがあるのではないでしょうし。
「隣の芝生は青く見える」というのは、無いものネダリしてしまう感情で、だれでも感じてしまうことのある普通な感情です。
「隣の芝生は青く見える」というよくある気持ちの反対側に「最強の介護職、最幸の介護術」の著者の山口晃弘さんの思いがあるのだと私はおもいます。
山口晃弘さんは、「介護という職業に就いている人間は二分化している。」といいます。どういうことなのか?
というと、
志があってこの仕事に自らの意思で就いたひと。
就職しやすいからという理由で介護業界に入ったひと。
山口晃弘さんは、「就職しやすいからという理由で介護業界に入ったひと」でもまったく問題なし!といいます。
昨今では、入社時点での資格条件が厳しかったり、有資格者でないと働けなくしたり、社会はそういう動きになりがちだけれど、
大学を出ていなくても、資格を持ってなくってもいい。
私が失禁してしまっても、
「いいの、いいの。気にしなくて。
みんないつか年をとるし、順繰りだからさ。
これくらい、俺がやってやるよ、若いんだから」
と言ってくれる兄ちゃん。わたしが認知症で混乱していても、
あたしがついてるから大丈夫だよ。
と言ってくれるお姉ちゃん。
もしも、医者からお酒を禁じられていても、「口つけるだけだよ。」といって、おチョコでお酒を持ってきてくれる介護職。
山口晃弘さんが将来、高齢になって介護を受けるようになったとき、介護をしてもらいたいのは、そうしたこころやさしい人なのだそうです。(わたしもこうしたひとに介護されたい。)
わたしの仕事は介護の仕事ではありません。不動産業です。わたしの職場にもいろいろな同僚がいます。言われたことをしている、という人がほとんどです。ザックリいうとお金のため給与のためにしなければならないことをしているだけ。
わたしの仕事のお客さんは会社であったり入居者です。洗濯機がこわれたり、エアコンの効きが悪くなるとわたしの部署に連絡が入ります。
ふつうであれば、1週間くらい直すのに時間がかかるものです。
そうした普通を普通で終わらせずに「今日中になんとかしてほしい。」と修理業者にかけあうようなことをしています。
なぜならば、お客さんになるべく快適にしごとをしてもらいたいし、住んでいただきたいと思うからです。
「そこまでしなくってもイイでしょう?わたしたちの給与はかわらないんだから・・」と言われることはないけれど、そんな雰囲気もある職場です。
修理業者にも嫌われる。「人手が足りないので翌日以降になります。」と言われることが普通です。ソコをなんども電話して、ときには担当者を変わってもらって、その日の深夜に直してもらう。
わたしがお客さんであったならしてほしいことを、わたしのいまの仕事でできることをしています。ラクをしていると人は簡単にテキトーになってしまう。おおげさにいうと、毎日自分と戦っています。自分の顧客の芝生を青くしたいとおもうからです。
仕事は違うでしょうけれど、山口晃弘さんの志を見習いたいとおもう日々です。